2009年06月15日

克美しげるの流した、滝の涙と「さすらい」の歌


あなたさまには確実に「人殺し」の殺人者の「血の系譜」が交じってございます。
 
 
無論、私めとて同じことでございます。およそ縄文、弥生の昔から数えて一万年余、一世代25年と計算しまして約400代に渡る「ご先祖さま」の歴史がどちらさまにも受け継がれているのでございます。
 
その「血筋」を辿れば、私達の「ご先祖さま」はまぎれもなく泥棒、強盗はおろか、忌わしき殺人者揃いであったことを確認できるのでございます。

良い悪いではございません。人類の歴史はサバイバルゲーム、殺戮の歴史、でございます。
 
 
誰とて「弱肉強食」の闘いの日々で、相手を倒すことで生き残り、命を継いできたのが「歴史の実相」なのでございます。「いや、私たちの”ご先祖さま”に人殺しなどいた筈がない」はファンタジーでございます。
 
 
DNAに刻まれている「戦いの瞬間の記憶」を、もし「ビデオ再生」出来得たら、現代のテロリストなど可愛いく見えるほどの「ご先祖さま」の野蛮な「残虐行為」を目撃することができるでありましょう。
 
 
私たちの脳細胞に実体験以外の「過去」を甦らせる能力が備わっていないことは「救い」でございます。神はこのことを人間の「原罪」である、と説かれました。

「原罪」を償い「汚れた魂」を救済するためには、苦しむ人、貧しい人、病める人に救いの手を差しのべなさい、教えられていたのでございます。
 
「自らが傷つくことを恐れず助けなさい」と、その教えは優しいものでなく、実に厳しいものでございます。
 
神は傍観者であることをお許しになられておりません。「自らが傷ついても、尚、ひるむことなく恵みを与えなさい」と激しく求められているのでございます。(単身アフリカの奥地に往き、生涯を奉仕で終えるシスターたちでございます。)
 
そうすることでようやく私たちの「魂」が「救済」されるのだ、「愛」とはそうした犠牲をともなった行為のことである、と導かれているのでございます。
 
 
これまでパリ人肉事件の佐川クンや、愛人絞殺犯の克美しげるさま、覚醒剤犯の清水健太郎さま、といった少なからぬ「罪深き人たち」とご一緒にお仕事をさせていただく機会がございました。

 
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posted by 村西とおる at 19:49| Comment(0) | 日記